みわの旅

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揺れた揺れた盛大に揺れたの巻


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おはようございます!

皆様如何お過ごしですか?

熊本は昨日30度超えですよ。

( ゚д゚)爽やかな5月はどこいったー!

ですよ。

夏になってんじゃねーよ。(失礼)

そして今日

ワタクシは別府へ行く日です!

嬉しいなぁ!楽しいなぁ!٩(๑´3`๑)۶

天気は快晴

(๑•̀ㅂ•́)و✧

揺れた揺れた!って何が揺れた?

って思うでしょ?

知るかー!(^_^.)

ですよね。

揺れたのは実家、しかも3年前ね。


そう、熊本地震の話しです。

3年前ワタクシは熊本に住んでおりました。


何故今頃思い出したか?

それは別府へ行こうと🚌バスや電車🚃を調べた事から始まります。

簡単に思ってました。

別府位すぐに行けると…

そしたらば、簡単じゃなかったんですねぇ。

自家用車なら簡単

しかし、公共のバスや電車だと

無かった。

なぜなのか?

地震の影響でありました。

まだ復旧が進んでない場所があったためでありました。

3年たったけれど…

で、思いだした訳であります。

地震のあった前の年から親の介護のために実家に戻っておりました。

仕事もみつけ(パート)介護と両立した日々を過ごしていました。

文字にするとなんと簡単な事なんだろう

あんなに大変だったのに…

介護の話しはいつかするかもしれません。

しかし、今日は地震の話しです。

あの日、2016 4 14 9:26

晩ご飯の片付けも終わりやれやれと、二階の自分の部屋のヘッドに寝そべって、くつろいでいました。

急に来た!

横揺れがだんだん激しくなります。

ネコを飼ってました。名前はトラといいます。

11歳位だったかな。(今は姉の🏠)

そのトラちゃんと目があいました。

じっとワタクシを見つめています。

大丈夫だから、大丈夫だから!

と、揺れる中必死で声をかけました。

嘘です!

ホントは声はでません。

ワタクシもトラも見つめ合ったまま

二人とも動くことは出来ませんでした。


早く止まれ早く止まれ!

と必死で念じていました。

とても、長く感じた地震は20秒ほどの長さだったようです。

その、20秒のなんと長い事よ。

心臓はドキドキ。

やっと収まり、トラちゃんに怖かったねぇ、もう大丈夫だからね。と言いながら撫でてあげました。

その後すぐ、下に降り認知症の進んだ父の様子を見て、外にでました。

心配そうな顔をした近所の人々が
出てきていました。

怖かったねぇ、ひどく揺れたね。

こんなの初めてですね。

と言葉を交わし、しばらくして、それぞれ家に戻って行きました。

家に戻っても
どうしよう、どうしようとうろたえるだけで、何もする事はなく、普通に水もガスも使えましたから。

しかし、壁にヒビは入り、瓦は飛びました。
犬走りにもヒビ

浴室のタイルの壁にも亀裂。

これらは、少し落ち着いて後で分かった事です。

その時、母は1月の終わりに風呂場で転んで圧迫骨折で近くの病院に入院中でした。

この時は入院してくれていてありがとうと思いましたね。

一見不運な事に見えるものが、逆転してラッキーと思える事を、実感した出来事でありました。

翌日、普通に仕事に行きまして、
昼休みに同僚と昨日の地震に付いて
話しておりました。

「まさか、熊本で地震が起きるなんてねぇ…」

昼休みも終わり頃、その同僚が言うのです。

「また来るかもしれん…だから、このコタツをロッカーの前に移動しとこう!」

(ロッカーが倒れて来ないように)

(゜-゜)?また来る?

その時、ワタクシは「ま〜さ〜か〜」と思いながら、コタツを移動しておりました。

昨日、大きな地震が起きて、色々被害は出ていましたが、普通に仕事をして
買い物をして、家に帰り…
とあまり変わらぬ日常を過ごしました。

そして、起こったのです。

16日未明。

地震の起きた日を数字で書くと4月14日と16日なので2日後のようですが、感覚としては翌日なのです。

起きる時間も怖かったし、昨日のより揺れがヒドイ。

昨日も怖かったけれど、更に上があるとは!

揺れた!揺れた!盛大に揺れた!



もう、家が壊れる!
潰される!

だけど、動く事は出来ない…

やっと…やっと…収まり

それから怒涛の日々が始まったのです。

避難所生活、認知症の父

入院中の母

頑張れ自分!


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母です。


多分、ワタクシのおっちょこちょいの性格はこの人から受け継いでます。

帰省して、母を施設から、実家に連れて帰って来て、ビールを飲んでご機嫌の母です。二晩泊まりました。

そして、「私、帰りたくないんだけど」
と言う母を施設に送りまして…

そう言ってくれるなよ…

と思いながら


ワタクシは今日別府に行きます。

ごめんよ。お母さん、また、すぐに会いに来るからね。

ホントだよ。

熊本地震はそういう名称に決定した時、

違和感がありました。

そんな名前じゃない…

大震災と付けなきゃと

そう思いましたね。

潰れると思った家も、熊本城のように踏ん張って、ワタクシ達を守ってくれました。

一部損壊でした。

罹災証明も取りました。

でも…

なんの補助も受けられないレベル。

だけど、屋根だけでも30万は修理にかかり、壁や、風呂場、犬走りろ亀裂はそのままです。

父が奇跡的に地震保険に加入していましたが降りた金額は
お見舞い金の1万を含め16万ぼっちでした。


出ないよりましのレベル。

姉の家は大規模半壊

あれから3年…

ワタクシは大阪でも地震に遭遇しました。

もしかして、地震女?
地震オバサン?

そして、今日、別府。

どうぞ、地震が来ませんように。


人生何があるかわからない。

クサイけど、今を頑張るしかというか、

どちらかというと今を楽しむしかない。と思ってます。

だから、私は旅をしたい。

では、別府に行ってきま〜す!

そろそろ、友人が迎えに来る頃です。

友人のご主人が阿蘇駅まで送ってくれるという、ありがたい展開になりました。

阿蘇駅から別府まで行きます!

最高のコースでしょ!

みわの旅

つづきます!

読んでね!


いつか、母のこと 父のこと書くかも知れません。

父が亡くなりもうすぐ一周忌。

父は大阪で地震が起きた日に亡くなりました。