高野山の旅 ちょっとあの世に逝ってくる!の巻
目次
奥之院
前回は血を流して倒れてる人や三この松や、うどん屋を探してばっかでしたが
そして、
高野山でうどんについて語る前に、空海の話でもしろ!って…( •̀ㅁ•́;)ね…
そうですね!
と言う訳で、お腹も満たされ、てくてくと歩いて本日のメインイベントである、
奥の院へやって来ました。
いつの間にか、こっちがメインになっている(*^^)v
結縁灌頂に参加しなかったからね。
く〜!¥3000 位だったらねぇ。
(ㆀ˘・з・˘)
往復4 ㌔㍍あります。
やったね!運動不足解消できそうです!
ちょっとあの世に逝ってくる!
高野山は言うまでもなく、平安初期に空海がひらいた。
山上はふしぎなほどに平坦である。
そこに一備の都市でも展開しているかのように堂塔 伽藍 子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。
枝道に入ると中世、別所とよばれて非憎、非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり寺よりもはるかに俗臭が少ない。
さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である
奥之院に僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)勤仕(きんし)されている。
その大道の出発点には唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。
大門の向こうは天である。
山なみがひくくたなずき四季四時の虚空
(そら)がひどく大きい。
大門からのそのような虚空(そら)を眺めていると、この宗教都市が実は現実のものではなく空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに高野山は日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで唯一ともいえる異域ではないか。
かっちょいいでしょ。
平易で、読みやすいでしょ?
じーんと来ませんでしたか?
ワタクシは来ましたよ。
司馬遼太郎先生なんです。
橋を渡り右手にこの石碑があるのです。
平成20年9月24 日建立
司馬遼太郎の碑
著作「高野山管見」の冒頭から抜粋
だそうです。
残念な事に、この石碑の文字が薄れて、
その場で読む事は困難で、ネットで調べて、何が書いてあるかわかりました。
約10年前に建立されていますが
整備の方が間に合ってない?
調べついでに、他の記事も読んでみますと、司馬遼太郎先生が学徒出陣前の昭和18 年に奈良 吉野から和歌山 潮岬を目指します。夜道を歩いているうちに道に迷って高野山にたどり着いた。
その際「異次元空間に入ったようなか感覚」を覚え、復員後も高野山を訪問とあります。
高野山には現在4000人が暮らし、そのうちの1000人がお坊さんだと、バスの中でアナウンスが流れておりました。
今、現在でも異空間だと感じます。
それを承知だから、多くの人々が訪れるのでしょうが、司馬先生の訪れた昭和18年(戦争中)しかも、道に迷っての夜!
どれだけ、幻想的だったことでしょう。
暗闇の中に灯りぽっと灯り見えてくる様
ほっとした事も重なり、更に不思議な感覚になったのでは?
と、想像します。
宿坊体験では、それに近い体験が、出来そうですよね。
夜の奥之院、何だかとても良さそうです。
中世以来の苔むした墓地。
杉木立と、お地蔵様。
空気が変わります。
ひんやりしますね。
空海の事書いてない!(^^ゞ
気にせず進みます!
参道を
ズンズンと!
武田信玄、上杉謙信、石田三成の供養塔を通り過ぎ(そうそうたるメンバーだな!)
更に中の橋を過ぎて左に姿見の井戸まで来ましたよ。
恐怖の姿見の井戸
高野山、七不思議の1つで、恐怖の〜と付いてます。
なんでも、その井戸を覗いて見た時に自らの、顔('・ω・') が水面に映らなければ
3年以内に死ぬ!と言われているのが恐怖!と言われている所らしいです。
キャ〜!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
どぉしようかな?覗こうかな!止めとこおかな!
注:心霊写真ではありませんd( ̄  ̄)
大丈夫!映りました!
写真では分かりにくいかもしれませんが
しっかり映っていましたよ。
皆さんもぜひ!
でワタクシたちが「映った!映った!」
と、喜んでいたので、そのあと来る人は安心して、覗いていました。
ホントは映ること知っていたんだわ!
前回来た時、やってるから(^^)/
皆さんもここ奥の院を訪れた時にはぜひ!
みわの旅
つづきます!
あの世はもうすぐ、大門の先〜!
読んでね!
今日の高野山っぽいやつ〜!